同級生は立派なお父さんになっていました。
「息子には、いいことはいい、あかんことはあかんで、
特に、やったらあかんことはトコトン教えている。」
そんなお父さんに、いじめについて聞いてみました。
息子さんにはこんな風に話しているそうです。
「いじめは、やってもあかんし、やられてもあかん。」
『やってはいけない。』は分かります。
『やられてもいけない。』というのが新しいと思いました。
やられるのは自分の主張を言わないからです。
あるところで相手に負けてしまって、折れているのです。
「自分が正しいと思ったら貫き通せ。
何かあったらお父さんが学校に行ったる。」
こんな話は、いじめられてからでは遅いのです。
どれだけ早く子供とこんな会話をしているかです。
「すごい教育やな。」
と言った僕に、
「教育とかそんな大層なもんちゃうねん。
男らしく育って欲しいだけやねん。」
言葉を選んだ自分を恥じました。
そして、教育という言葉を薄っぺらく感じました。
『いじめられてはいけません』
こんな言葉は教科書には載せられません。
学校の先生が教えることもできません。
言えるのは親だけです。
最後まで面倒をみる覚悟のある親だけなのです。
必要なのは、教育というマニュアルではなく、
道徳という熱さだったのです。
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