大人と子供の線引きは難しい。
二十歳になればみんな大人になれるとは限りません。
結婚して子供ができた、という線引きでは問題があります。
それに、それだけではまだ微妙な人もいます。
その子供に子供ができるのを待つのも大変です。
それでは、怒らない人というのはどうしょう。
怒らない人は大人な感じです。
しかし、怒らない小学生は、それでもまだ小学生です。
では、二十歳を過ぎて怒らなければ大人なのでしょうか。
それでは、教育はできません。
感情的に怒らないということを前提にしても、
穏やかに諭すことだけが教育とは思えません。
感情を抑えるだけが大人でもないと思うのです。
あるお客様がおっしゃいました。
「大人とは、素のままで社会生活が営める人」
実はこれが深い。
気を遣える人は大人です。
社会生活を成立させるためには、気を遣うことは重要です。
ただ、子供でも気は遣うものです。
気を遣うだけでは大人にはなれません。
自分が『素』でいた時に、社会が認めてくれて受け入れてくれるかどうかです。
ただの自由奔放では受け入れてもらえません。
逆説的ですが、素でいるのに、認めてもらえるのは、大人だからです。
社会に受け入れてもらえる、要素を持ち合わせているということです。
そして、そのように振舞えているのです。
さらに無理をしていない。
ここまでくれば立派な大人だ、という定義です。
わがままを許してもらえるのは子供です。
わがままを認めてもらえるのが大人なのかと思いました。
年を取るだけでは大人にはなれません。
大人っぽくてもまだダメです。
素になれる。そしてそれを認めてもらえる。
なんとも、大人の階段が遥か上の方に伸びていくのを感じました。
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