学校の宿題をしないと、先生に怒られました。
なぜ怒られるのか、意味が分かりませんでした。
最近分かったことがあります。
なぜ先生が怒ったのか。
それは、先生が、
「生徒は自分が出した宿題を必ずやってくるものだ」
という、非現実的な思い込みを持っていたからです。
それが叶えられないから、怒っていたのです。
「宿題なんて、好きな人も嫌いな人もいるのだから、
やってこない生徒がいて当然だろう」
という現実的な考えを持っていれば、怒ることもありません。
僕が怒られた記憶に、先生の愛はまったく感じられませんでした。
僕のためを思っていたとは考えられません。
もし僕が先生なら、宿題をしてこない生徒にこう言います。
「宿題をしないのは別にいい。その代わり、これだけは覚えておいてください。
『宿題をしないという選択を、自分でしたんだ』ということを。
それを認識していれば、将来、
『あぁ、あの時ちゃんと勉強しておけばよかった』
という後悔はしなくていいはずだから。」
生徒に、後悔させないためには、宿題をさせるのではなく、
自分で選択して生きているんだ、ということを教えるのです。
勉強なんて大人になってもできます。
「あの時、勉強しておけばよかった」
と思うのは、勉強しないという選択をせずに、
ただ、勉強しなかっただけだからです。
高校の時、英語の先生の発音が、
明らかに外国人のそれとは違っていました。
僕はその時、
「この先生の授業は聞いてはいけない」
と自分に言い聞かせました。
ただでさえできない英語が、ますます嫌いになってしまうと思ったのです。
高校を卒業して、オーストラリアに渡り、
あれは正解だったと気づきました。
英語を勉強しなかった、という認識がありました。
あの時やらなかったから、今やろう、と思えたのです。
その認識がなければ、
「あれ?一応英語の勉強したのに、なぜできない?」
と、自己嫌悪におちいってしまいます。
「今できないのは、あのときやらない選択をしたからだ」
と、分かっているだけでいいのです。
それだけで、後悔することもありません。
今からやればいいのです。
「やらずに後悔」はありますが、
「自分で選択して後悔」はないのです。
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