幸せにはなれない。
2013年08月17日(土)
例えばよく言われる間違った日本語に、ファミレスなどで、

「こちら、ハンバーグ定食になります」

というのがあります。

「じゃ、これは今は何なの?」

という話です。

幸せも同じです。

「幸せになります」

と言ったときは、今は幸せではないということです。

今幸せでない人が、幸せになろうと考えたときに想像する幸せは、

他人がつかんだように見える幸せです。

自分が考えた幸せではないことを望むのです。

そして、それが手に入れば幸せになれると思っています。

幸せに形はないので、なろうと思ってもなれません。

幸せは、感じられるか感じられないか、なのです。

どれだけお金持ちになっても、幸せでない人もいます。

何度も結婚していても、幸せではない人もいます。

お金や結婚など、目に見えるものを手にいれても、幸せにはなれないのです。

幸せは、なるものではなくて、実感するものです。

結婚式で新郎新婦に、

「幸せになってください」

というのは、今まさにマラソンを走っている人に、

「頑張ってください」

というようなものです。

これ以上、どうせぇっちゅうねん。

ということです。

「幸せって何ですか?」

と聞かれました。

これは、

「かゆいって何ですか?」

というような話です。

かゆいは人それぞれです。

今までで、一番かゆい思いをしたレベルは人それぞれです。

でも、それが、その人の「かゆい」なのです。

いろんな人の幸せ話があります。

でも、それはその人の幸せです。

自分の幸せは、自分にしか分からないのです。

今、自分の幸せが想像できない人は、何を手に入れても幸せを感じることはできないのです。

今までで、幸せだった瞬間を思い出せる人は、もうその時点で幸せです。

今、それがないから不幸せなのではないのです。

嬉しいイコール幸せではありません。

嬉しいを求めても、その一瞬で終わってしまいます。

幸せは、継続的なものです。

なぜなら、感じるだけでいいからです。

何もなくてもいいのです。

手に入れなくても、頑張らなくてもいいのです。

今、この瞬間に、

「幸せだなぁ」と感じることが幸せなのです。

他人の目は関係ありません。

幸せは自分自身のものです。

だから、自分自身と向き合うことが必要なのです。

他人が持っているものを手に入れても、それは物であって幸せではないのです。

かゆいところには手が届いても、幸せに手は届きません。

なぜなら、それは、自分の中にあるからなのです。


「じゃぁ、どうすれば幸せになれますか?」

まだ、なれると思っています。

「じゃぁ、どうすれば幸せを感じられますか?」

いい質問です。

何かあったときに、自分の気持ちをその都度確認するのです。

「今はどんな気持ち?」

と自分に聞くのです。

つらくても、悔しくてもいいのです。

そのうちに、「幸せな気持ち」というのに出会います。

それが、自分と向き合うということなのです。

2013-08-17 | 記事へ |