例えばよく言われる間違った日本語に、ファミレスなどで、
「こちら、ハンバーグ定食になります」
というのがあります。
「じゃ、これは今は何なの?」
という話です。
幸せも同じです。
「幸せになります」
と言ったときは、今は幸せではないということです。
今幸せでない人が、幸せになろうと考えたときに想像する幸せは、
他人がつかんだように見える幸せです。
自分が考えた幸せではないことを望むのです。
そして、それが手に入れば幸せになれると思っています。
幸せに形はないので、なろうと思ってもなれません。
幸せは、感じられるか感じられないか、なのです。
どれだけお金持ちになっても、幸せでない人もいます。
何度も結婚していても、幸せではない人もいます。
お金や結婚など、目に見えるものを手にいれても、幸せにはなれないのです。
幸せは、なるものではなくて、実感するものです。
結婚式で新郎新婦に、
「幸せになってください」
というのは、今まさにマラソンを走っている人に、
「頑張ってください」
というようなものです。
これ以上、どうせぇっちゅうねん。
ということです。
「幸せって何ですか?」
と聞かれました。
これは、
「かゆいって何ですか?」
というような話です。
かゆいは人それぞれです。
今までで、一番かゆい思いをしたレベルは人それぞれです。
でも、それが、その人の「かゆい」なのです。
いろんな人の幸せ話があります。
でも、それはその人の幸せです。
自分の幸せは、自分にしか分からないのです。
今、自分の幸せが想像できない人は、何を手に入れても幸せを感じることはできないのです。
今までで、幸せだった瞬間を思い出せる人は、もうその時点で幸せです。
今、それがないから不幸せなのではないのです。
嬉しいイコール幸せではありません。
嬉しいを求めても、その一瞬で終わってしまいます。
幸せは、継続的なものです。
なぜなら、感じるだけでいいからです。
何もなくてもいいのです。
手に入れなくても、頑張らなくてもいいのです。
今、この瞬間に、
「幸せだなぁ」と感じることが幸せなのです。
他人の目は関係ありません。
幸せは自分自身のものです。
だから、自分自身と向き合うことが必要なのです。
他人が持っているものを手に入れても、それは物であって幸せではないのです。
かゆいところには手が届いても、幸せに手は届きません。
なぜなら、それは、自分の中にあるからなのです。
「じゃぁ、どうすれば幸せになれますか?」
まだ、なれると思っています。
「じゃぁ、どうすれば幸せを感じられますか?」
いい質問です。
何かあったときに、自分の気持ちをその都度確認するのです。
「今はどんな気持ち?」
と自分に聞くのです。
つらくても、悔しくてもいいのです。
そのうちに、「幸せな気持ち」というのに出会います。
それが、自分と向き合うということなのです。
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