「何か面白いこと」は見つかりません。
大事なのは、
「自分が何を面白いと思うか」です。
そして、「何を面白いと思うか」は未来にはありません。
過去にあるのです。
今までに、何を面白いと思ったか、です。
「でも、今は興味ないし」
ということもあるでしょう。
ただ大事なのは、面白いと思ったそのものではなくて、
なぜ面白いと思ったのかです。
僕が筋トレにはまったのは、筋トレそのものが面白いのではなく、
「明らかに成長が見える」ことにはまったのです。
長距離走が大嫌いだった僕がマラソンにはまったのも、
明らかに成長が見えたからです。
語学も同じです。
英語やタイ語自体が好きなわけではなかったのです。
そして、成長曲線がどのようなものなのかを知ることによって、
いろんなことにはまることができるのです。
成長曲線は、真っ直ぐな右肩上がりではありません。
限りなく緩やかに底辺を横に進んでいき、突然グワッと上に伸びて行くのです。
成長が見られないときにいかに我慢できるかです。
突然現れる成長を信じられるかどうかです。
今、映画をたくさん見ようと思っていますが、まだまだです。
でもきっと、1000本辺りで何か見えるのではないかと思っています。
本は800冊くらい読んだ辺りで、真理が見えました。
この瞬間のために続けられるのです。
話を戻します。
面白いことを探そうと思っても見つからないとき、
自分が面白いと思ったことを掘り下げてみるのです。
絵を描くのが好きだったのなら、それの何が面白かったのかということです。
僕は中学まで、漫画を描くのが好きでした。
でもそれは、絵を描くのが好きなわけではありませんでした。
物語を作っていくのが好きだったのです。
それの表現方法に漫画があっただけでした。
小説でもよかったのです。
今は、ブログという形で表現できています。
「面白いこと」は未来にあるかもしれませんが、
「面白いと感じること」は過去にしかありません。
みんなが面白いということも、自分が面白いと感じられないと面白くないのです。
だからつまり、「面白いこと」は見つからないのです。
「面白いと感じる」ことでしか、面白いことはできないのです。
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