「なんで走るのですか?」
と聞かれます。
2年前は僕も走っている人に聞きたかった質問です。
「なんでそんなしんどいことを自ら?」
と思っていました。
今は明確な理由が二つあります。
一つは、簡単に限界(だと思っている)ところに到達できて、
その限界を超えようか止めようかのせめぎ合いができる。
普段の生活ではなかなか限界だなんて思いません。
仕事をしていても本を読んでいても、
「あぁ限界だ。でもこれを超えれば何か見えるかも」
なんて世界にはなかなか到達しません。
それが、ちょっと速く走ると数キロでそんな境地に到達します。
これは快感です。
二つ目は、簡単に『無』になれること。
瞑想をすれば無になれます。
でも、修行の足りない僕はそう簡単に瞑想で無にはなれません。
瞑想が成功して無になれると、不安、心配、わずらわしさ等を全て取っ払ったような爽快な気持ちになります。
この『無』の状態に、ゆっくり走っていると、いとも簡単になれるのです。
これはやめられません。
この時は、まったくしんどくないのです。
最近は瞑想の代わりに走っているのかもしれません。
白い息を吐きながら走っていると、映画のロッキーになったようでまた気持ちがいい。
思わずわきを開いてロッキー走りになってしまいます。
みんなが寒い寒いと言っているなかで、汗だくになって帰ってくる。
これも快感です。
もはや走らない理由が見つかりません。
走らない理由が、「しんどいから」なら、
誘っちゃいますよ。
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