不倫肯定派と否定派の討論になりました。
小学校からの友達なので遠慮がありません。
肯定派といっても、不倫を推奨している訳ではありません。
「しゃあないんちゃうの」
というのが、肯定派のスタンスです。
否定派は、もうどうしても許せないというスタンスです。
懲役刑レベルの犯罪者扱いです。
お互いが折れるところは見つかりそうにありません。
間に入っていた女性の友達が言いました。
「つまり、ブッダと釈迦の違いやね」
突然、ゲスな話から崇高な宗教や哲学の話になりました。
釈迦は全てを許し、ブッダは己を削って悟りをひらきました。
否定派がブッダといわれたのは、
人を傷つけない云々(うんぬん)というよりも、
不倫という欲求を、自らを抑えることで幸せにつながるという、
ひたすら耐え忍んだブッダのようだという話でした。
頭ガチガチの否定派が、ふいにブッダに昇格したのです。
かたや、フワッと全てを許す釈迦のような肯定派という絵になったのです。
仏教信者でなくても、ブッダ対釈迦という絵は見たくありません。
もはや、不倫の話はどこかへいってしまいました。
正反対の意見も、最後は同じ仏教の話にまとめることができるのです。
不倫否定派と肯定派の意見が交わらないのは、見ている場所が違うからです。
否定派は不倫された方を見ています。
肯定派は不倫した方を見ています。
それではいつまでも対立するだけです。
大事なのは、他人を許す許さないという立場に立たないことです。
人はそんな偉そうな存在ではありません。
自分はする、しない、でいいのです。
自業自得というのは仏教の言葉です。
自らしたことが自らに返ってくるのです。
これは、いいことも悪いことも同じです。
不倫討論はこの、『自業自得』で和解できるのです。
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