結局不倫って。
2016年08月03日(水)
不倫肯定派と否定派の討論になりました。

小学校からの友達なので遠慮がありません。

肯定派といっても、不倫を推奨している訳ではありません。

「しゃあないんちゃうの」

というのが、肯定派のスタンスです。

否定派は、もうどうしても許せないというスタンスです。

懲役刑レベルの犯罪者扱いです。

お互いが折れるところは見つかりそうにありません。

間に入っていた女性の友達が言いました。

「つまり、ブッダと釈迦の違いやね」

突然、ゲスな話から崇高な宗教や哲学の話になりました。

釈迦は全てを許し、ブッダは己を削って悟りをひらきました。

否定派がブッダといわれたのは、

人を傷つけない云々(うんぬん)というよりも、

不倫という欲求を、自らを抑えることで幸せにつながるという、

ひたすら耐え忍んだブッダのようだという話でした。

頭ガチガチの否定派が、ふいにブッダに昇格したのです。

かたや、フワッと全てを許す釈迦のような肯定派という絵になったのです。

仏教信者でなくても、ブッダ対釈迦という絵は見たくありません。

もはや、不倫の話はどこかへいってしまいました。

正反対の意見も、最後は同じ仏教の話にまとめることができるのです。

不倫否定派と肯定派の意見が交わらないのは、見ている場所が違うからです。

否定派は不倫された方を見ています。

肯定派は不倫した方を見ています。

それではいつまでも対立するだけです。

大事なのは、他人を許す許さないという立場に立たないことです。

人はそんな偉そうな存在ではありません。

自分はする、しない、でいいのです。

自業自得というのは仏教の言葉です。

自らしたことが自らに返ってくるのです。

これは、いいことも悪いことも同じです。

不倫討論はこの、『自業自得』で和解できるのです。

2016-08-03 | 記事へ |