2015年3月1日。僕は『ゾンビ』になった。
咳(せき)はなんとか治まっていましたが、
少し頭痛がしていました。
風邪の症状です。
僕は自分の身体で実験してみようと思いました。
「風邪気味でフルマラソンを走るとどうなるか」
マラソンは健康のためにやっています。
今回の行為は本来の目的とは逆走しています。
それでもなぜか、
「無理をしないと、無理ができなくなる」
という、サッカー元日本代表のキング・カズの言葉が浮かびました。
カッコいい。
走っているうちに身体が温まって、
風邪も治るのではないかと期待していました。
気温4度。雨はずっと降り続いていました。
朝の5時30分には現地にいました。
フルマラソンスタートは10時50分です。
永遠に思えるような5時間強を車で過ごしました。
スタート地点に着く前に、靴の中にはもう水が入ってきていました。
いよいよスタートです。
冷たい雨はまだ降り続いています。
10kmまでは友達と一緒に順調に走っていました。
僕らの合言葉は、
「初めはゆっくり」
呪文のように二人で唱えていました。
15km辺りで上り坂が出てきました。
坂道が好きな僕らには、へでもない坂です。
のはずでした。
友達は少しペースが上がりました。
余裕な感じです。
僕はそれに着いていくのが精一杯でした。
おかしい。
身体が思うように動いていないことに気づきました。
「20kmまでは一緒に行こう」と言ってくれていたのですが、
ここで先に行ってもらうことにしました。
一人旅が始まりました。
雨はまだ降り注いでいます。
18km地点にまさかの妻と友達の彼女がいました。
雨の中嬉しい応援です。
ただ、僕には手を上げて応えることしかできませんでした。
20kmを過ぎると咳が出てきました。
咳をすると着地のリズムが狂って走り難くなります。
腹筋にも力が入るのでエネルギーの無駄遣いです。
途中、アミノ酸を補給するために少し歩いていました。
沿道でおじさんが、
「がんばれ〜!がんばれ〜!」
と応援しています。
そのおじさんの前を通過するとき、さっきまで、
「がんばれ〜!」
と声を張り上げていたおじさんが僕に、
「無理しなや。無理したらアカンで」
と言ってくれました。
僕はどんな顔をして歩いていたのでしょう。
心が折れそうになりました。
30kmの関門を残り3分のところでなんとか通過しました。
ホッとしたのか、寒さで急に身体が震えだしました。
歯がガチガチと鳴り、ひざから下の感覚がほとんどなくなっていました。
必死に腕を振って走っているつもりが、
ひざが曲がらず股関節がうまく動きません。
唯一感覚があって痛みを感じていたのが股関節でした。
雨は激しさを増していきます。
僕のことなど見えていないかのように、後ろから人がどんどんと追い抜いていきます。
とうとう、歩いているくらいのスピードになっていました。
ところで、ゾンビはひざが曲がりません。
ゾンビのマネをするときは、ひざを曲げずに歩くとそれらしくなります。
冷たい雨が降りしきる中、僕は震えながらゾンビのように歩いていました。
しばらく歩いても身体の震えは止まりません。
走ろうと試みても、まともに動くのは腕だけでした。
32km地点を過ぎたとき、ゾンビ収容所が見えました。
選手収容所でした。
僕の身体は自然と傾き、収容所に向いました。
係員が僕を見ています。
ガチガチと震える歯の奥からなんとか、
「リ、リタイヤします」
と伝えました。
あのまま歩いていたら、どこかで一歩も動けなくなって、
雨の中立ち尽くしている絵が浮かびました。
ゾンビから人間に戻る過程で、
健康のために走っていることをやっと思い出しました。
制限時間を越えてもまだ帰ってこない僕を、
心配しながら妻と友達が待っていてくれました。
なんとも申し訳ないことをしました。
途中、救急車が出動していたくらいの負傷者もいました。
迷惑はかけまいと思っていましたが、
大変な心配をかけてしまいました。
今回の実験で分かったことは二つ。
「風邪は雨の中を走っても治らない」
「無理をすると、仕事ができなくなる」
大人になるって、難しい。
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