14歳ふたたび。
2009年10月09日(金)
最近は、タイ語の会話だけでなく、
タイの文字も読めるようになろうと勉強しています。

バンコクの小さなお店のメニューは、ほとんどタイ語で書かれています。
文字が読めないと何があるのか分かりませんし、
料金もきっとボラれています。
次に行った時には、
「あそこには30バーツって書いてますけど」
とタイ語で言いたい。
その為には、まずは文字が読めないといけません。

勉強しているとおもわぬ副産物がありました。

歌詞の意味は分からず覚えたタイ語の歌の歌詞を、
辞書で調べることができるようになったのです。

ちゃんと調べるとまたビックリです。
発音がだいぶ間違っていたのです。
もう一度覚えなおさなければいけません。

英語の歌でもそうですが、一つ一つの単語の発音を、
歌では発音していなくても、知っていて発音しないのと、
知らずに発音しないのとでは全然違います。

タイ語の場合は、舌の位置が変わるだけで、
音が出ていなくても意味が違ってくるのです。

と、細かいことはおいといて。

タイ語で唯一歌える歌のタイトルが、
「14 Eak krung」
日本語に直すと「14歳ふたたび」
という意味になるでしょうか。

僕の訳した感じなのですが、
「初めてあなたに出会った時、14歳の時の気分になった」
という内容の歌詞で、でもあまりハッピーな感じの内容ではなく、
「あの時の心の傷は今もまだ治っていない」
みたいな。
14歳でませてるな。

と、それはいいのですが。

話は変わって、先日中学校の時の陸上部の先輩が店に来て下さいました。
一つ先輩の女性の方です。

もちろん、僕の店とは知らずにです。

僕は、どこかでお会いしたことがあると思い、
記憶をたどると中学生でやっと出会いました。

20年ぶりなのですが全然変わっていませんでした。

実は、当時の憧れの先輩だったのです。

「14歳ふたたび」です。

さすがにドキドキしました。

でも、これがまた不思議で、14歳のドキドキなのです。

中学生の、いい様にいうと純粋な、悪く言うと稚拙なドキドキなのです。

当時は、一つ上の先輩も雲の上の人です。

手が出せるわけもなく、告白すら考えもしません。

ただ憧れているだけの、どうしようもないドキドキなのです。

今、例えば素敵な人が現れたら、ああして、こうして、 と近づくための作戦も練るでしょう。

中学生の僕は、まったくそんなことが思いもつきません。

なさけないくらい幼稚なのです。

今思うと、「逆にこれが純愛かぁ〜」なんて感動してみたり。

「純粋は裏を返せば未熟なんだ」
とある先輩に言われたことがあります。

そう、このドキドキは未熟なドキドキなのです。

変な気分ですが面白くありません。

妄想でする恋愛もそれはそれで楽しいのでしょうが、
僕はやはり、今の現実の恋愛の方が面白い。

相手のことが分からないと妄想するしかありません。
でも、妄想はどこかでつまずきます。

なぜなら、物事は現実に起きているからです。

実際に、相手の好きなこと、嫌いなこと、
嫌がること、喜ぶことを知っているから、
明日もまだ自信を持てるのです。


そんな話を何人かの人にしました。

「憧れの人が変わってなくてよかったですね」

そう言われて気づきました。

そうです、変わってないってすごいことです。

20年もたったのにです。

小さな努力をたくさんたくさんされているんだろうな、と思いました。

あるテレビ番組で、タイムマシンができても、
過去には行けるが、未来には行けない、と言っていました。

自分が生きてきた過去には、
タイムマシンがなくてもいけることを知りました。


2009-10-09 | 記事へ |