考えるのが好きな人は、
たまには何も考えない時間も大切です。
『無』になるのです。
一瞬でも無になれればスッキリします。
パソコンの再起動のようなものです。
寝るのもその一つですが、起きながらにして無の状態を作るのです。
これはこれで気持ちがいいのです。
マッサージをされている時はそんな状態です。
何も考えられません。
タイでは一日中そんな感じで過ごします。
マッサージが終わって、
「次、どうする?」
という会話が成立しないほどボーっとしてます。
「とりあえず、休憩する?」
と、さっきは何してたんだという感じです。
バカになってしまいそうで意外にならないのは、
無を体験しているからです。
パソコンも使い過ぎるとバカになります。
頻繁に再起動させてあげた方が動きがいいです。
考えているようで考えられないのが一番残念な状態です。
それなら、いっそのこと何も考えていない無になるのがいいのです。
何にもしばられることなく、何の不安も心配もなく、
脳にスーっと風が吹いているような静寂を味わうのです。
オープンテラスの扇風機の風。
水滴がたくさんついてぬるくなりかけたシンハービールの瓶。
トゥクトゥクのモーター音とクラクションの音。
はたと気づきます。
「あぁ、今バンコクにいるんだ」
と。
そしてまたビールを一口含み、バンコクの空気に揺られるのです。
もう一本頼んでもいいし、チェックして歩き出してもいい。
なんの憂いもなく、自分の存在すら蜃気楼のように感じて。
「あの道は渋滞しているから行かない」
と平気で断ってくれるタクシーの運転手さん。
何台も断られて、
「じゃ、モノレールで行こか」
と、ふわっと切り替えられるゆるさが生まれます。
文化や習慣が違えば、頭を切り替えやすいのです。
日本にいて同じように振舞えないのは日本の文化があるからです。
無になる文化はありません。
いつも、何か誰かのことを考えています。
マイペンライ。(問題ない。気にしない)
これが、タイリゾートです。
日本にはない『無』がそこにはあるのです。
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