空想。
2012年07月18日(水)
考えるのが好きな人は、
たまには何も考えない時間も大切です。

『無』になるのです。

一瞬でも無になれればスッキリします。

パソコンの再起動のようなものです。

寝るのもその一つですが、起きながらにして無の状態を作るのです。

これはこれで気持ちがいいのです。

マッサージをされている時はそんな状態です。

何も考えられません。

タイでは一日中そんな感じで過ごします。

マッサージが終わって、

「次、どうする?」

という会話が成立しないほどボーっとしてます。

「とりあえず、休憩する?」

と、さっきは何してたんだという感じです。

バカになってしまいそうで意外にならないのは、

無を体験しているからです。

パソコンも使い過ぎるとバカになります。

頻繁に再起動させてあげた方が動きがいいです。

考えているようで考えられないのが一番残念な状態です。

それなら、いっそのこと何も考えていない無になるのがいいのです。

何にもしばられることなく、何の不安も心配もなく、

脳にスーっと風が吹いているような静寂を味わうのです。

オープンテラスの扇風機の風。

水滴がたくさんついてぬるくなりかけたシンハービールの瓶。

トゥクトゥクのモーター音とクラクションの音。

はたと気づきます。

「あぁ、今バンコクにいるんだ」

と。

そしてまたビールを一口含み、バンコクの空気に揺られるのです。

もう一本頼んでもいいし、チェックして歩き出してもいい。

なんの憂いもなく、自分の存在すら蜃気楼のように感じて。

「あの道は渋滞しているから行かない」

と平気で断ってくれるタクシーの運転手さん。

何台も断られて、

「じゃ、モノレールで行こか」

と、ふわっと切り替えられるゆるさが生まれます。

文化や習慣が違えば、頭を切り替えやすいのです。

日本にいて同じように振舞えないのは日本の文化があるからです。

無になる文化はありません。

いつも、何か誰かのことを考えています。

マイペンライ。(問題ない。気にしない)

これが、タイリゾートです。

日本にはない『無』がそこにはあるのです。
2012-07-18 | 記事へ |