幸せのある所。
2012年04月12日(木)
幸せは、「幸せやなぁ」と思えることが幸せです。

そこで、

「どんな時に幸せだと思いますか」

という問いに、多くの人は、

「欲求を満たした時」

という答えになります。

昨日、一緒に話していた女性はいいことを言っていました。

「自分が自分のことをちゃんと見ることが出来ているとき。
星空を見ただけで、幸せやなぁって思えますね」

大事なのは、欲求を満たすことではなく、

自分が自分であることなのです。
2012-04-12 | 記事へ |
路線。
お金があればあるだけ幸せになれるわけではありません。

友達が増えれば増えるほど幸せかと言えばそうではありません。

拡大路線でいくと、どこかで疲れます。

縮小路線でいくと、少なくなる代わりに、深くなるのです。

多いのが悪いと言っているわけではありません。

多ければいいと思うことが違うと思うのです。

縮小していって、最後に無にたどり着く。

仏教における悟りは、そこにあるのではないかと思うのです。
2012-04-12 | 記事へ |
大人の記憶力。
大人になった方が記憶力は上がると聞きました。

単に、詰め込むだけの記憶ではなく、

リンクさせて覚えることができるからです。

その、リンクする材料は大人になればなるほど増えていきます。

子供に、仕事をたくさん指示しても覚えていられません。

大人になれば、片付ける順番を考え、

その動線をイメージすることで覚えることができます。

子供の、ただ覚えるだけの記憶力ではこれができないのです。

しかも、子供の頃は興味のないことまで覚えなければいけません。

それはいくら子供でも覚えられないのです。

大人の勉強は違います。

好きなことなら、今でもどんどん覚えられます。

「あぁ、あれはタイ語で何て言うんやろ」

と無性に知りたくなったタイ語は、一回で覚えることができます。

セックスが上手くなりたいと思っている人に、

「睾丸袋と大陰唇の感覚は同じなんですよ」

と教えてあげると、もう忘れません。

「年取るって嫌やなぁ」

と自分の記憶力の衰えをなげくのではなく、

好きなことをして、大人になった喜びを感じて欲しいと思うのです。
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聞く視点。
僕は、相手の話に反対したいわけではありません。

見えてないところを見せてあげたいだけなのです。

どっちの目線からも見えていて、全体像が把握できると、

考え方も変わってきます。

片方からの視点だと、どうしても行き詰ってしまいます。

僕は小学生のころいじめられていました。

と思っていました。

大人になって、いじめていた友達に会い、思い切って聞いてみました。

「俺のこといじめていたよな」

と。

すると、意外な答えが返ってきました。

いじめる側には、いじめる側の人生があり、考え方があります。

この何十年間、ずっと誤解していたのです。

それは、いじめられた側だけの視点で物事を見ていたからです。

僕が相談に乗る時は、その人の言い分と、登場する人の言い分の両方を見ています。

この人に、そんな風に言われたら、こんな気持ちになっただろうな。

というのがだいたい分かります。

だから、単になぐさめるようなことは出来ません。

たまに、言い過ぎたかも、と心配になることがあります。

そんな時に限って、後日、

「あの時は気づかなかった意見を聞けてよかったです」

とお礼を言って下さいます。僕はただ、ホッとするだけですが。

愚痴を言いたいだけなら、友達や同僚でいいと思うのです。

「分かる〜」

という軽いのりで聞かれるのが嫌になったら、

レインフォレストでお待ちしております。
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弄ばれる。
もてあそばれたと怒るのは、相手を格下に見ていたからです。

相手が格上だと思っていれば、遊んでもらった。です。

同等に見ていたとして、あそばれたと被害者意識になった瞬間に、
相手を格下に見ているのです。

「○○された」と言うから被害者になるのです。

「○○してもらった。○○した」に置き換えればいいのです。

遊んでもらったか、遊んでやった、かです。

捨てられたのではないのです。

セックスアンドザシティの世界なら、

「あんな奴、軽く遊んでやっただけよ」

となります。

悔しいでしょうが、みじめになる必要はありません。

セックスレスの夫婦の奥さんからすれば、

「いいじゃない。勃起してくれた人がいるだけで」

となります。

もてあそばれた話も、もはや自慢話になってしまいます。

見方を変えてみるのです。
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